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肥前名護屋城

唐津市から車で約30分豊臣秀吉の野望の集大成とも言うべき朝鮮出兵の文禄・慶長の役の際に国内拠点として築城された名護屋城が有ります。わずか5ヶ月築城され、当時の大阪城に次ぐ規模を誇ったとされてます。周辺には全国から参集した大名の陣屋が130以上も建てられ、人口20万人を超える城下町が突如として出現したのだ。国内で名だたる武将が一堂に会した城・陣屋は無いとのことだ。大手門はコレ

400年もまえに築城されてるので、壊れてると言う訳ではなく、壊されたという事らしい。関ケ原の戦いの後、寺沢広高が唐津城を築城した際に、その一部の違材を使用したと言われてる。その後、1615年一国一城令を受けて人為的に破却された。なんちゅう事をしてくれたん!ですが、幻想的な当時の破却の姿がそのまま残る名護屋城が見れるが・・・いわゆる天守閣はあった方がいい!少し城内の破却の姿を見てほしい。

本丸大手門は三の丸から本丸への入り口に二層の豪壮な門があったらしいが、伊達政宗が城の大手門に移したという事らしい・・・伊達政宗が余計な事をしてくれる。国宝だったが、第二次世界大戦の(昭和20年)空爆で焼失したと記されてる。

ここら辺に本丸大手門があったようだ。三の丸あたりから見るとコレ

正面が本丸大手門付近で右側の上は天守閣があった場所です。

なかなかブログでは伝えきれないので天守閣の碑を見てほしい。コレ

今はこの記念碑が建ててあるが、城山から晴れた日は、遠く対馬なども見ることが出来る様だ・・私が行ったときは普段の行いが悪いのかどんよりで近くの海が見えただけ。

名だたる戦国武将の陣屋は、看板は建てて有り、陣屋後巡りも出来るよになってます。

徳川家康・加藤清正・伊達政宗・石田三成・前田利家・鍋島直茂・上杉景勝などなど日本の歴史に頻繁に出てくる方たちの陣屋あとが見れます。またこの地はイカの生造りで有名な所で、波戸岬ではサザエのつぼ焼きも食べれるご機嫌な場所なのだ。

一度行ってみてください。

大正15年に史跡指定・昭和30年に特別史跡指定を受けてます。

人為的に破却された三の丸の石垣が見れます。コレ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見所満載で食べ物も美味しい・海もキラキラできれいです

ドライブデートには持ってこいです。道が解らないと言うカップルには、場合によっては私が案内人になってもいい!ってか・・・蹴とばされるな!止めとく。